霙とは?

油川 英明

 「霙」は「みぞれ」と読ませ、雨まじりの雪のことですが、この文字に含まれる「英」は「はなぶさ、美しい花」の意であることから、これが雨と雪が混在した形の定まらない降雪を示すことには以前から少し疑問を感じていました。一説に、雨まじりの雪が花びらのように見えることから「霙」としたのではないか、という京のお公家さんが宣うような説もありますが、ここでは「雪」の文字にこだわって先の疑問を追いかけてみることにします。
 単に「雪」といえば、雪の結晶(添付の写真)も降る雪も積もった雪のことも指しますが、雪の結晶は「雪華」あるいは「六花」(snow crystal)、降る雪はぼたん雪に代表されるような結晶の集合体である「雪片」(snow flake)、そして、積もった雪は「」(snow cover)と表されています。この「」は「雪」の旧字体で、「雨」と「彗」から成っており、上空から降ってきたしずく状のものが地上を「ほうき」で掃いたように清められるということで、「汚名を雪(そそ)ぐ」というようにも使われています。また、江戸時代の「雪華図説」(土井利位 著)には雪を「由伎」と記して、白さの秀でたものとみなしていました。 ところで、「霙」についてですが、これは、雪が六花であることを見いだしたことと関わりがあるようです。雪の結晶が六花であるという記載の最も古いとされる書物は、古代中国の前漢の時代(BC 150 年)に韓嬰(かんえい)により著された「韓詩外伝(かんしがいでん)」であると言われています。そのなかに、「凡草木花多五出雪花独六出」(おおよそ草木の花は五出が多く、雪花だけが六出である)と記されているとのことです。
 しかし、伝えられている「韓詩外伝」にはこの記述部分が喪失していて見あたりません。実際は、「韓詩外伝」が著されてから700 年以上も時代が下った唐の初期、「藝文類聚(げいぶんるいしゅう)」(当時の百科事典のような書籍)が編纂され、そのなかに「韓詩外傳曰凡草木花多五出雪花独六出雪花曰霙雪雲曰同雲」とあり、この「韓詩外伝に曰く・・・」によるものであったというわけです。
 そして、今回の疑問に関わって注目されることは、このなかの「雪花曰霙雪雲曰同雲」(雪花とは霙のことを言い、雪雲とは同じく雲のことを言う)ということで、ここでは「霙」は六出の雪花、つまり結晶状の降雪を指し、雨まじりの雪のことではないようです。つまり、古代中国では雪花状に降る雪を「霙」、積もった雪を「」と表していたように窺われます。
 日本においては「霙」という文字は奈良時代以前には存在していなかったようです。「藝文類聚」が日本に伝来したのは9 世紀末の宇多天皇の時代ということから、このときに「霙」という文字が日本に伝えられたとみなされます。他方、日本書紀(8世紀初期)には「氷小雨」と書いて「みぞれ」と読ませていたことや「みぞれ」の語源として水霰(みずあられ)、水降(みずふる)、水添垂(みずそいたれ)などがあげられていることから、「みぞれ」の言葉が先行し、その後、「霙」の文字が伝来したことにより、何らかの根拠をもとにこの文字に「みぞれ」をあてたのではないかと推察されます。
 なお、現在の天気図における日本式の表記は「みぞれ」と平仮名で、記号は雪と雨の合成となっていて(添付の図参照)、降水としては雪に分類されています。また、国際式の天気記号による「みぞれ」も同図の右に示します。
 韓嬰により著された「韓詩外伝」は、「韓詩(詩経)」(内伝)をもとに諸々の事柄について説明を記した説話集で、「論語」や「老子」なども引用して書かれているとのことです。
 韓嬰は燕の国(首都は現在の北京)の人で、前漢の文帝の学術官吏を務めていました。そして、韓嬰は当時の二大思想である儒教と道教の融合を意図していたとも言われています。我が国の空海も仏教と儒教と道教の融合を目指していたという説もあります。
 余談ですが、「詩経」は儒教の四書五経のひとつで、紀元前11世紀(西周の初期)から紀元前7世紀(東周の初期)に作られた庶民、兵士、貴族などによる抒情詩(当時は口承による)を書きとめて成書化したものです。成書化されたものとして、魯の国に伝えられたものを韓嬰がまとめた「韓詩」の他に、魯の国による「魯詩」、斉の国に伝えられた「斉詩」、毛氏による「毛詩」がありましたが、現在まで伝えられているのは毛詩を基にした「詩経」と「韓詩外伝」だけです。
 「詩経」の文言は現在においても耳目にすることがあり、例えば次のようなものがあります。切磋琢磨、一日千秋、他山の石、多士済々、薄氷を踏む、等々。

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